リリアンを編んでいた話

最近新しい趣味ができた。それはお笑い芸人さんのラジオを聴くこと。

ここ数年は音楽やニコ生を聴きながら出勤していたのだけど、それらと同時並行して聴きたいものが増えてしまったため必然的にでは家事中も買い物中もゲームの中もなどと睡眠・仕事中以外はだいたい趣味・生活+ラジオを聴いている時間になってしまった。

ラジオを聴くのはたのしいけれど、ずっと脳の同時並行処理が続くと脳がフル稼働し続けている様子でなんだか疲れてきた気がする。たのしいんだけど。なんかもう少しボーッとする時間がほしい。でもラジオも聴きたい。どうしたものか。

 

思案に思案をかさねた末に出した答えはラジオを聴きながらリリアンを編めば完璧!だった。

 

 

今から時を遡って小学23年生の頃。おばあちゃんがリリアンのセットをイオンの2階にある手芸屋さんで買ってくれたことがある。

それがマアたのしくてたのしくて、毎日やり続けて、ゲームもやって、本も読んで、リリアンも編んで編んで、夏休みの宿題なんてサッパリ計画的にできなかった結果、当時のワタクシは冷や汗をかき溜め込んだ宿題を抱え込んで「これはリリアンをやりすぎたな」などと結論を出した。そうしてタンスにしまった。

たまにフト流行がやってきてタンスから引き出してやり過ぎては反省してしまい、これを何度も繰り返したが、中学を卒業するくらいの時に「これはもうやらないな」と思うに至り母にバザーなどに出してほしいとお願いした記憶がある。

折角もらって大切に使っていた物なのでまだ誰かが使いすぎてくれるなら是非という気持ちだった、気がする。この時期はポケモンを卒業()したり背伸びをしたがっていたので、キラキラしたピンクのリリアンの編み機も手元に置いておくのがすこし恥ずかしかったのかもしれない。

 

 

とにかく、黙々と細かくてかつ手短で複雑でない同じ作業の繰り返しをするリリアンは絶対にラジオに合うと思った。リリアンに対する適性があることも過去の経験から分かっているし。意識はラジオに持っていったまま、手は脳を通さず美しく速くの最善を極める、絶対にたのしい。確信に近い。まちがいない、と立ちあがり即座にaマゾンで糸と編み機がセットになっている物を2セット買った。即決即断の鬼が遠くでやさしく微笑んでいたので、目を細めて口角をあげ、親指を立てた。

 

 

もしかしたら1度もパッケージのデザインを変えていないのかもしれないリリアンのセットが、週末の昼頃に届いた。見た目がそもそもかわいらしいので、なんだか使うのがもったいないような気もしたが、即決即断の鬼が親指を立てたので、今度はこちらが微笑む番だった。プラスチックのケースからセロテープを外し、中身を取り出す。ゴーン。ゴーン。聴こえる。遠くから正解の鐘の音が。いえ、それは幻聴です、まだ何もやっていないのだから。

声は出さずに口先だけを動かし私と第二人格が会話をする。脳を通さずにシャカシャカと身体が動き、洗濯機をまわし、炊飯器の電源を入れ、コーヒーを淹れ、スマホにイヤホンをさし、準備が整う。よろしくお願いします。

 

 

さて、校長先生は言いました。きみたちが夕飯の支度をはじめるまでに6時間かかりました。6時間!?ワタクシたちは冷や汗をかきイヤホンを耳から外し洗濯機の奥で悲しげに水を吸っている洗濯物を抱え込んで米をまぜ食器を洗い「これはリリアンをやりすぎたな」と反省をした。正解の鐘の音が聴こえる。予想通りと膝を打ちしめしめとばかりにうれしそうな顔を、鬼だけがしていた。ご利用は計画的に。