実家からの帰路、車の窓から見た夜

夜の田舎を走っている車は本当にすくない(といえども愛知の田舎は特殊な環境かもしれない)。車のスピーカーから流しているのがおじさんのニコ生でも大層雰囲気がある。なんとなく静謐でおちつく空間にいる感覚がある。隙間に心地よくスッポリはまっている感覚がある。


後方からパトカーがサイレンを鳴らしながら近づいてきた時、前後3台くらいがキッチリウインカーを出しながら道端に寄って停車した時にとってもうれしかった。そしてパトカーがある程度離れた時、1番前にいる車から順に1台ずつ走りはじめて、本当はそれが当たり前のことなのだけれどまたもやとてもうれしい気持ちになった。治安がいい。

とか言ってると、近くに横断歩道があるのに大無視して大通りど真ん中を横断している人間軍団がいたり、先程赤信号になったというのに音を立てて猛スピード右折する車もいる。さっきの、取り消しで。


とにかく夜は道が見にくいので安全運転を意識してアクセルを踏む。ハンドルを切る、ブレーキを踏む。目をぎらつかせる。日中より気を張っている気がするのに、なんだか落ち着くのはなんでだろう。視界や意識に入る人の数がすくないからだろうか。


ブーン。どんどん実家が遠ざかっていく。ブーン。どんどん実家が遠ざかっていく。

母が、私によく言う言葉がある。よく言う言葉辞典が作れそうなくらいある。よく言う言葉の中で今日印象に残ったのが「あんたは子供の頃、妖怪みたいだった」だ。

これは分かりやすく言い換えると「自分の常識が通用せず、突飛なことをし、良い意味でも悪い意味でも驚かされる子供だった」という事らしい。厳密には違うかもしれないがそのように解釈させてもらっている。

そしてその後は必ず「本当に何を考えているのか分からない時があったが、妖怪からだんだん人に近づいてきて、良かった」的発言をする。


思えばワタクシの幼少期なんぞは現状では到底考えられないほどとても明るく元気いっぱいなお調子者なのに大層人見知りでその振り幅は大きく、小学生にもなると一丁前に反骨精神などがメキメキと育っていた気がする。母親があれしなさい、これしなさいと、(当時の自分から見て)不条理な事を言われると、口先ではきちんと返事をするのだが脳内では強烈に反抗しており、絶対に行動に移さないないしはかなり先送りにして動くといった抵抗方法をかなりやっていた気がする。あの頃よく母は私に「あんたは人の話を聞いてるフリをする。適当に相槌を打っている。返事をしたらちゃんと行動をしなさい」と叱ったのだがこれに関しても毎度毎度キチンとしおらしく相槌を打ったりしながらも本当は分かってやっていないのだ何を言ってるんだこの人は私の好きなようにやったってそれは別にいいじゃないか、ほおっておいてくれなどと思っていたのをフト思い出した。


このように自分の負の鬱屈した精神性をできるだけあらわにしたくなくて、しなかったから、時々隠しきれずに見せる本当の意志が乗った行動の端々の意外性が彼女の人生経験から構築された価値観や常識を逸脱し、妖怪めいて見えたのかもしれない。そしてこの人は捻くれた精神性をひた隠しにして狡賢く生きるあまり、自慢の元気いっぱいも、げの字から順に失っていったのだろう。


思春期の頃はとにかくこの妖怪という言葉が、自分の人間性を否定されている様に感じて心底嫌だった。嫌だったが、嫌だと伝えるのも面倒で、今となっては慣れてしまったのだが、嫌だと言った事は1度もない気がする。というか母親の価値観を否定した記憶が全くない。マア思い出せない記憶もあるのだろうけど、正確に数えられたとしても右手で足りるくらいしかないと断言できる。妖怪に限った話ではない。嫌だ、嫌だ、と思った事は数限りなくあり、その度に心中で反骨してきたのだが、それに口出しする事は大人になってもまだほぼないのだ。実家を出てからは社会の許す範疇で勝手に好き放題する様になっただけ。それを言える部分と言えない部分に仕分けして、うまく調理して、笑い話にしたり世間話にしているだけ。

ブーン。そうか。そうかもしれない。ブーン。まだ私はずっと妖怪をやってるんだ、と気がついた。この人が望んだ人間にはなれなかったが、嫌がらないレベルの、人間のフリが上手くなっただけなんだな。こう思ったらなんだか趣味やたのしい事柄ならなんでも上手くいきそうな気がした。みっつもよっつもいつつも信号機に足止め喰らう事なく車は淀みなく進み、なにかしらの野良動物も見かけたりしてスッカリ気分が良くなってくる。グングン我が家も近づいてくる。夜はまだ長い。窓の外では景色が「しーん」をやっている。今日は深く深く眠りにつけそうな気がした。