きざみ海苔記2

2/4

詳細は書けないけれど、自分が尊敬している人物に己の存在が認知されてしまうかもしれないらしい。

これは伝わってほしくない!という願望よりの表現であって実際には認知ほぼ確らしい。

認知されたくない周囲にいる有象無象の人間の1人でありたい解像度の低いJPEGの中にいたい。

どうやら生まれた時から私には固有名詞が付いているらしい。知るかあ!無視します。通行人Aです。と言い張るのは今更無理があるし。

かといって忘れてくれと願うのは失礼だと思う。先方の、自分以外の人たちの気持ちを無視していて最低だ。「認知された」のピントを意識的にはずして生活するしかない。

どうしてこうもシャイすぎるのかねえ。

 

 

2/6

友人氏が親戚の会合でヘロヘロになっていた。話を聞くところぶっ飛んだ親戚しかおらず、1人を除いてみんな人の話を聞かなくて冷たくて厳しいのだそうだ。しかもその1人ももれなく「変な人」らしい。

友人氏にあなたも充分変な人なんですけどと茶化すこともできたのだけど、話の内容が全て嫌な方向に濃かったので私も一緒になって怒っていた。

ブチギレながら車を運転し、ラーメンを食べた。2人とも雪を模した粉チーズをかけたおしゃれなラーメンを食べた。粉チーズのかかった味噌ラーメンの味がした。雪みたいな舌触りでホロホロとチーズがとけていき、心も次第にほぐされていった(気がする)

おいしかった

嫌がる旦那さんを無理矢理運転させ会合後、向こうが不機嫌になり現在会話ゼロ状態になったとのことで、つい「そんなやな親戚とのやな会合に着いて行ってくれた旦那さんにはきちんとお礼を伝えるべき」とかなり余計なお世話をやき、ケーキ屋に向かうことに。

そして「それではおすすめの場所が」と案内されたお店が「いかにも」で魂が縮こまってしまう。

かわいくておいしいけど高くてちっちゃいやつ。庶民には手が届かないやつ。それはもう、お店の駐車場に車を停める段階で背筋が伸びているレベルの。愛か。これが。お前の。

とはいえテンションは爆上がりし、ガラスケースの前で、わー!おいしそう、とか言いながら、目を輝かせながらも、必死にいちばん安いやつを探してしまう、精神性。多分財を成すことがあってもずっとこうなんだろうな私は。このチョコプリンをひとつください。

 

めっっっちゃうまかったから値段とかどうでもよくなった。

 

2/8

上記の友人氏がお土産でくれたインスタントのちゃんぽんを食す。おいしかった。汁まで飲んだ。

私の脳の欲を司る部分は食に対する部分を少なめに取っていて、かつ胃が丈夫でなくかなり小さいので、普段汁を全て飲んじゃおうと思うことがほぼ無い。固形物を食べた後の汁物はよりお腹にたまるから。

定食のおみそ汁はかなり苦心して飲むし、なんなら飲み切れないから主食単品注文にするし、愛してやまないアイスコーヒーでさえチビチビ飲んで最低でも15分程度かかる。

そんな人間が汁を一気に全部飲んだとありゃさぞ美味しかったのだろうとお思いでしょう。実は笑っちゃうくらい麺の量が少なかったんだよね。ギャハハ。もしかしたら汁を全部飲んでもらいたくて少なめにしているのかもしれないな。

 

きざみ海苔記 1

文章の練習として始めたブログももう少し定期的にやっていくべきだと判断し、細切れに書いた文章をいくつか載せます。

いいかげん文体を統一すべきなのだけど、どっちが身体に馴染むかの検査でもあるからもうしばらく統一感のない状態が続くかもしないし、ずっとこのままかもしれないです。

 

10/22 5:30起床 夕方からライブを見る予定がある日。この時はまだ心のゆとりがあり、のんびり米を食べ朝のコーヒーを飲んだところまではよかったけど、心臓がバクバクになり心が乱れてしまう。なんとかリラックスさせようとエムワーンインタビュー動画を見まくるも全く効果がない。

11時をまわったあたりですこし焦りも出てくる。心臓がバキバキの状態で支度を進め、車で会場近隣のイオンへ向かう。

 

道中、心臓はバキバキだったものの「呼吸を意識してやれば痛くはないのでマシなほう」とかいう最悪の慰めを自分でしてやるフェーズに突入。

(考えようによっては)何事もなく目的地に到着。この時カバンに眼鏡を入れ忘れる。

でも駐車所の駐車位置をメモしたのでとても偉い。疲れ果てて駐車場の位置がわからない絶望感たらありゃしないですからね。1度絶望を味わうとその経験から2度と忘れない。失敗がおれを強くする。マア眼鏡忘れは数え切れない程やっていますが…

 

かるく物色したあと駅へ向かう。この時点でトイレに2回行っている。トイレは行けば行くほど安心なので。1番身近に手に入る安心。

想定より早く現地に着き適当にぶらつく。そしていつもの「歩くペース早すぎて歩いているだけで息切れ状態」に。幸か不幸か運動をしたせいか、いつのまにか心臓のデバフも落ち着く。

無作為にぶらついていたら交差点の横断歩道の配分が予測と違い、迷いかけて慌てるも地下道を発見。道路を横切るためだけに地面の下に潜るなんてオモロ!と思う。

 

本来ライブの内容について言及する部分に

1入場で整列するのが苦手なので全席指定だと完全にスキップできて嬉しい

2ディープキスのB

とだけ書かれていた。2なにそれ。大喜利のお題みたい。ディープキスのB面、どんなの?

 

(帰りは値引きパンを5個も買いフィーバーした。ベーコンエピ、からあげ級に執着できる食べ物の最後の砦かもしれない)

 

10/23

疲れてグッスリ寝入り、起きたのは6時半。バキド〜さんのドゥガを見つつ昨日のパンを食べる。お腹いっぱいまで食べてもまだパンがある。これはかなりうれしい。

延々とダラダラし9時頃近所のカラオケ店へ。なにやってたんだ。結構際どい時間だ。埋まってなかったらラッキーくらいの時間。店員さんから「14:30まででかなり音漏れする部屋ならご案内できるんですが」と言われ(オッシャ!ラッキーの日!)と思う。

かなりの大部屋を個室の居酒屋みたいな壁で区切った部屋で、かなり防音できていないからあ〜ま〜結構聞こえるな、という部屋だった。

 

これは完全に個人の好みの問題なんですが、合法的にデカボイス出せるならマイク必要ないかも!って思ったりしています。そうじゃない人ももちろんいるんだろうけど。マイクってさ、なんか、エコーとかかけちゃってさ、上手いですよ〜って言ってくるし。いいよ、そういうの。私大きい声出すことで気持ちよくなりにきてるしさ。年々デカい声が出るようになってきている気がする。年々、通常声量も大きくなっているような気もする。

楽しくなってきて、空腹を無視してずっと歌いっぱなしの状態を続けてきたら突然身体から警告通知を受け取る。胃が空っぽですよ。朝食で得たエネルギー、もうないですよ。

あっ、これも無視したらかなりの低血糖状態に陥ってしまう。思わずパンをひとつかじりながら入れた曲が「空と君とのあいだには」これなら前奏も間奏もそこそこあるから、パンを食べながら歌が歌える。そのまま地上の星も歌い、エネルギー補給しながら歌を歌うことに成功。こんな厳かな食事は初めてかもしれない、と思った。

 

そんなこんなで尿意も無視しほぼ5時間半ぶっ続けで歌い通して、さすがに疲れを感じるも、なぞの達成感に包まれ余裕で車を走らせて、帰ってスギまで寄っちゃったらしいです!たのしそうでなにより!

 

 

1月9日10時イオン着。目的地である映画館へ真っ先に向かうつもりがメイトに吸い込まれていく。妹の愛してやまないあんスのグッズを物色したものの、店頭に並ぶあんスグッズの8割がランダムグッズで購入を諦めお店を後にする。

 

ザクザク歩き歩き映画館を大股で突っ切って券売機へ。そこそこ人がいる。みんな戸締まりとかスラダンとかを見に来てるんでしょう?とか思いつつも私ももちろん気になっているので時間を確認したりしてみる。

でも結局買わずに銀英の半券だけ入手。左端に2人組がいるだけであとはスッカラカンだった。朝イチで取ったのか予約してたのか分からないけどかなり本気の波動を感じる。私もE-9というかなり本気の座席を選ばせてもらった。よ〜く考えたら1人で映画を観に来るというのは初めてのことかも。

 

混み出す前に慌ててコメダへ。ゆとり桃鉄・アイスコーヒー・あみ焼きチキンホットサンドの最強デッキでくつろぐ。耳が山になっている部分が1番好きなのであのゾーンは最後まで取っておいた。正確に言うとふたつ食べてかなりお腹がふくれたのですこし休憩した。

私は何においてもカリカリ信者で、パンがフニョフニョになるまで待つだなんて基本信じられないのだけど、コメダのパンはフニョフニョになっても信じられる。愛しています。おいしかった。いつまでもいてほしい。

 

3階まで戻ってゲームセンターへ。あっ。きりゅ〜だ。財布の中身を確認すると、100円玉は3枚だけあったのでしょうがないな〜!!!!!と思いつつ無の時間を精製。無ではないか。きりゅ〜の頭をアームで鷲掴みした時、私の脳にPerfect!!って表示されてかなり嬉しかったから無じゃない。その後落っこちて羽風と衝突してふたりともおはじきみたいに飛んでいって「だめだこりゃ」になって写真だけ撮って妹にラインしたらなんかあの人喜んでたから無じゃない。

なんでもいいからランダムグッズ買ってきて!とのお達しに「オイ適当に委ねるな!あと私の奢り?」を訊けずにアルカナコレクションっていうオシャレなタロット風カードを買った。

カードや缶バッチ、アイドルなのでチェキを模したグッズが多かったけれど、これはダントツでデカくて丈夫そうで3枚も入っているという理由で選出された。あとオシャレだから飾りごたえありそう。

すこし心配なのはラインナップが全アイドルだったのでもうゲームのガチャと一緒。妹は皇帝のアンチだけどガチャで出てきて「嫌」とかではないらしいのでもう誰が出ても嬉しいってことだと思う。来週会う予定があるのでたのしみ。半額は出してもらうけど奏汰くんか日和か羽風か風早先輩がでてきたらもらっちゃおうかな。

 

そのまま服屋を延々と巡る時間に突入。本来の目的「退職の挨拶の際に配るお菓子を買う」を忘れ、ゲラのラジオをたくさん聴きながら黙々と練り歩く。この間5回はトイレに行っている。冬に冷たいコーヒーを飲んだにしろトイレが近すぎる。GUが安すぎて感動する時間も有り。本屋のワゴンセールでSFCの作品を網羅している本を買おうか悩む時間もあった。

 

荷物を置きに一旦車へ戻る。くたびれたので、ぐにゃん、という姿勢のままツイッターを見たりして1時間休憩をとった。肉体的というよりかは精神的ぐんにゃりからエンジンをつけることを失念。車から出た瞬間、冷え切った身体に思わず「アホすぎる!!!」とウケてしまった。

少しでも身体をあたためるために大人も子供もビックリなスピードで階段を駆けおりる。大丈夫。イオンで階段使ってる人間なんて、ほんのひと握り(地域差あるかも)。そのまま流れるようにサンマルクへ。妹がサンマルクのファンをやっているので是非とも1度行ってみたいと常々思っていてかつなかなか機会に恵まれなかったので本当に丁度良かった。私の愛してやまない細長いウインナーのパンとオシャレなチョコクロワッサンとホットコーヒーをいただいた。もちろんゆとり桃鉄と一緒に。すばらしい休日。本来の目的をすっかり忘れてさえいなければ

結局前述のSFC本を買い、ホクホクで、大股でザンザンと進み、映画館へ。まずはトイレ。サンマルク出た瞬間もトイレ行ったけどトイレ。コーヒー飲んだ後に動いたから。少しでもトイレの余地をなくす義務がある。本気だから。もう手ぶらでも全然よかったんだけど上映してくれたことの感謝からジンジャーエールSを注文。いざ。

内容ですけどそりゃあもう心底よかったです。終わった時に全然物足りなかった。あと10時間見られるな、見せてくれ!と本気で思った(その気持ちにお応えした結果あのすばらしいOVAができたんだろうけど)ティアマト会戦って序盤の序盤だし、やっとここからヤンとラインハルトがお互いの存在を認知して更に物語が動き出す。来週からは「新たなる戦いの序曲」も上映してくれるそうで、たのしみ。絶対に観に行く。

 

ケビンスさんの単独ライブが最高でした

ケビンスさんの初単独ライブ、心の底からたのしかったです。ありがとうございました。そしておつかれさまでした。じっとしていられずにバタバタと駆けたくなりました。最高でした。

ひとは、最低のものを見た時についつい色々とグチグチ表現豊かにののしるわりには、最高のものを見ると最高!としか言えなくなりがちです。自分もそんな例に漏れず机の周りをウロウロしては最高。最高。と思いながら誰もいない虚空にチョキピースを突き出す特殊なタイプの人間になっていました。最高。実際山口コンボイさんはあの夜この世で最も高い位置にいたと思います。そしてそれをいちばん近い場所で見守り笑っていたのが仁木さん。

 

ワタクシは本日、大きい声で気兼ねなく笑いたいという理由で実家に帰りました。気兼ねなく大きな声で笑いたいから実家に帰ってきたため今夜は必ずうるさいですと事前告知しておいたおかげで家族のほうもなにやらたのしそうでよかった、と言ってくれて助かりました。

心がキュッと狭苦しくなるいつものアパートにおりましたら、布団と枕の下に入り込みタオルを噛みちぎり喉を潰しながら笑いを堪えていたことでしょう。腹筋バッキバキ、吐血待ったなし。

 

大笑いした後の特殊な状態の人間はじっとしていられずクルクルと机の周りを往復していたようですがでもさすがにジャンボイの真似はやめました。理性からのストップ宣言が出ました。

実家はそこそこ年季が入っているため床が抜ける恐れがあり、かつ、以前ジャンボイの真似をして超高ジャンプの練習をしズボンに穴を開けてしまったことがあるからです。

 

 

初めてコンボイさんのジャンプを見た次の日の朝、とあるトイレの中央で周囲に誰もいない事を念入りに確認してジャンプを行ったワタクシは個室で穴を確認し何事もなかった顔をして1日仕事を済ませ帰りました。奇跡的にソーイングセットで応急処置が施せる位置だったことが本当に幸いでした。

ジャンプをして現在職場で1番高い位置にいるあろう瞬間、鏡にうつる満面の笑みをうかべた女性と目があいました。彼女は下に下に下がっていくうちに「でもコンボイさんの高さには到底およばないな」という表情になっていった気がします。

すこしさみしげな表情でした。着地後は冷静になり「練習もしてないのにとべるわけないんですけどね」顔のその女性に背中を向けて個室に入って穴を確認して、誰かに言いたいのに誰にも言わずに針と糸を持ってきてもう一度トイレに入室しました。

 

 

今日はその時のあの下がっていく時のせつなさみたいなものは全然なく、ジャンプをして1番高い位置にずっといるようなたのしさがずっと続いているような、すてきなお笑いライブだったと思います。つまり、最高ということです。チョキピース。

リリアンを編んでいた話

最近新しい趣味ができた。それはお笑い芸人さんのラジオを聴くこと。

ここ数年は音楽やニコ生を聴きながら出勤していたのだけど、それらと同時並行して聴きたいものが増えてしまったため必然的にでは家事中も買い物中もゲームの中もなどと睡眠・仕事中以外はだいたい趣味・生活+ラジオを聴いている時間になってしまった。

ラジオを聴くのはたのしいけれど、ずっと脳の同時並行処理が続くと脳がフル稼働し続けている様子でなんだか疲れてきた気がする。たのしいんだけど。なんかもう少しボーッとする時間がほしい。でもラジオも聴きたい。どうしたものか。

 

思案に思案をかさねた末に出した答えはラジオを聴きながらリリアンを編めば完璧!だった。

 

 

今から時を遡って小学23年生の頃。おばあちゃんがリリアンのセットをイオンの2階にある手芸屋さんで買ってくれたことがある。

それがマアたのしくてたのしくて、毎日やり続けて、ゲームもやって、本も読んで、リリアンも編んで編んで、夏休みの宿題なんてサッパリ計画的にできなかった結果、当時のワタクシは冷や汗をかき溜め込んだ宿題を抱え込んで「これはリリアンをやりすぎたな」などと結論を出した。そうしてタンスにしまった。

たまにフト流行がやってきてタンスから引き出してやり過ぎては反省してしまい、これを何度も繰り返したが、中学を卒業するくらいの時に「これはもうやらないな」と思うに至り母にバザーなどに出してほしいとお願いした記憶がある。

折角もらって大切に使っていた物なのでまだ誰かが使いすぎてくれるなら是非という気持ちだった、気がする。この時期はポケモンを卒業()したり背伸びをしたがっていたので、キラキラしたピンクのリリアンの編み機も手元に置いておくのがすこし恥ずかしかったのかもしれない。

 

 

とにかく、黙々と細かくてかつ手短で複雑でない同じ作業の繰り返しをするリリアンは絶対にラジオに合うと思った。リリアンに対する適性があることも過去の経験から分かっているし。意識はラジオに持っていったまま、手は脳を通さず美しく速くの最善を極める、絶対にたのしい。確信に近い。まちがいない、と立ちあがり即座にaマゾンで糸と編み機がセットになっている物を2セット買った。即決即断の鬼が遠くでやさしく微笑んでいたので、目を細めて口角をあげ、親指を立てた。

 

 

もしかしたら1度もパッケージのデザインを変えていないのかもしれないリリアンのセットが、週末の昼頃に届いた。見た目がそもそもかわいらしいので、なんだか使うのがもったいないような気もしたが、即決即断の鬼が親指を立てたので、今度はこちらが微笑む番だった。プラスチックのケースからセロテープを外し、中身を取り出す。ゴーン。ゴーン。聴こえる。遠くから正解の鐘の音が。いえ、それは幻聴です、まだ何もやっていないのだから。

声は出さずに口先だけを動かし私と第二人格が会話をする。脳を通さずにシャカシャカと身体が動き、洗濯機をまわし、炊飯器の電源を入れ、コーヒーを淹れ、スマホにイヤホンをさし、準備が整う。よろしくお願いします。

 

 

さて、校長先生は言いました。きみたちが夕飯の支度をはじめるまでに6時間かかりました。6時間!?ワタクシたちは冷や汗をかきイヤホンを耳から外し洗濯機の奥で悲しげに水を吸っている洗濯物を抱え込んで米をまぜ食器を洗い「これはリリアンをやりすぎたな」と反省をした。正解の鐘の音が聴こえる。予想通りと膝を打ちしめしめとばかりにうれしそうな顔を、鬼だけがしていた。ご利用は計画的に。

読書をしたガールさん

友人が読書をする習慣を身につけたい!と言い出した。突然の事だった。 


彼女は私の読書好きを知っているからか、謎に手足をバタバタさせながら「見守っててね!」と言った。見守るって、なに?



これからは週に1冊必ず読むと声高らかに宣言する友人氏。なぜか、かおいっぱいの笑顔。週1流石に仕事が忙しくなったり単純に専門書だの内容の濃い本に手をつけるとしたら、くたびれ現代人には無謀だ。最初は緩い条件にして段々引き上げていけばいいだのなんだのと余計なお世話をした結果無事に「やっぱ月2冊にする!ありがとう!」とやはりわらっていた。やっぱり、見守るって、なに?



先日とうとう1冊読み終えたというので、しかも「ちょう面白かった!名作!」との事で、きっと抱えきれない感情を抱えてあれやこれや感想を言い出すに違いないと踏んでいたがなんと大きな間違いだった。ニコニコ笑いながらこっちに寄ってきて、よかった、よかった、と言うばかりでこちらには何も伝わらない。せめて荒筋を教えてほしいと泣きつく。知りたい。そんなに良かったなら読みたい。しかし彼女はタイトルすら正確に思い出せず、挙句、ちゃんと本の感想交換日記をしたい!書いてきてくれたら、書くから!と無邪気な笑顔で提案するときて、こちらも流石にニコニコほほえんでもいられず、あのー、見守るって、なに?


実家からの帰路、車の窓から見た夜

夜の田舎を走っている車は本当にすくない(といえども愛知の田舎は特殊な環境かもしれない)。車のスピーカーから流しているのがおじさんのニコ生でも大層雰囲気がある。なんとなく静謐でおちつく空間にいる感覚がある。隙間に心地よくスッポリはまっている感覚がある。


後方からパトカーがサイレンを鳴らしながら近づいてきた時、前後3台くらいがキッチリウインカーを出しながら道端に寄って停車した時にとってもうれしかった。そしてパトカーがある程度離れた時、1番前にいる車から順に1台ずつ走りはじめて、本当はそれが当たり前のことなのだけれどまたもやとてもうれしい気持ちになった。治安がいい。

とか言ってると、近くに横断歩道があるのに大無視して大通りど真ん中を横断している人間軍団がいたり、先程赤信号になったというのに音を立てて猛スピード右折する車もいる。さっきの、取り消しで。


とにかく夜は道が見にくいので安全運転を意識してアクセルを踏む。ハンドルを切る、ブレーキを踏む。目をぎらつかせる。日中より気を張っている気がするのに、なんだか落ち着くのはなんでだろう。視界や意識に入る人の数がすくないからだろうか。


ブーン。どんどん実家が遠ざかっていく。ブーン。どんどん実家が遠ざかっていく。

母が、私によく言う言葉がある。よく言う言葉辞典が作れそうなくらいある。よく言う言葉の中で今日印象に残ったのが「あんたは子供の頃、妖怪みたいだった」だ。

これは分かりやすく言い換えると「自分の常識が通用せず、突飛なことをし、良い意味でも悪い意味でも驚かされる子供だった」という事らしい。厳密には違うかもしれないがそのように解釈させてもらっている。

そしてその後は必ず「本当に何を考えているのか分からない時があったが、妖怪からだんだん人に近づいてきて、良かった」的発言をする。


思えばワタクシの幼少期なんぞは現状では到底考えられないほどとても明るく元気いっぱいなお調子者なのに大層人見知りでその振り幅は大きく、小学生にもなると一丁前に反骨精神などがメキメキと育っていた気がする。母親があれしなさい、これしなさいと、(当時の自分から見て)不条理な事を言われると、口先ではきちんと返事をするのだが脳内では強烈に反抗しており、絶対に行動に移さないないしはかなり先送りにして動くといった抵抗方法をかなりやっていた気がする。あの頃よく母は私に「あんたは人の話を聞いてるフリをする。適当に相槌を打っている。返事をしたらちゃんと行動をしなさい」と叱ったのだがこれに関しても毎度毎度キチンとしおらしく相槌を打ったりしながらも本当は分かってやっていないのだ何を言ってるんだこの人は私の好きなようにやったってそれは別にいいじゃないか、ほおっておいてくれなどと思っていたのをフト思い出した。


このように自分の負の鬱屈した精神性をできるだけあらわにしたくなくて、しなかったから、時々隠しきれずに見せる本当の意志が乗った行動の端々の意外性が彼女の人生経験から構築された価値観や常識を逸脱し、妖怪めいて見えたのかもしれない。そしてこの人は捻くれた精神性をひた隠しにして狡賢く生きるあまり、自慢の元気いっぱいも、げの字から順に失っていったのだろう。


思春期の頃はとにかくこの妖怪という言葉が、自分の人間性を否定されている様に感じて心底嫌だった。嫌だったが、嫌だと伝えるのも面倒で、今となっては慣れてしまったのだが、嫌だと言った事は1度もない気がする。というか母親の価値観を否定した記憶が全くない。マア思い出せない記憶もあるのだろうけど、正確に数えられたとしても右手で足りるくらいしかないと断言できる。妖怪に限った話ではない。嫌だ、嫌だ、と思った事は数限りなくあり、その度に心中で反骨してきたのだが、それに口出しする事は大人になってもまだほぼないのだ。実家を出てからは社会の許す範疇で勝手に好き放題する様になっただけ。それを言える部分と言えない部分に仕分けして、うまく調理して、笑い話にしたり世間話にしているだけ。

ブーン。そうか。そうかもしれない。ブーン。まだ私はずっと妖怪をやってるんだ、と気がついた。この人が望んだ人間にはなれなかったが、嫌がらないレベルの、人間のフリが上手くなっただけなんだな。こう思ったらなんだか趣味やたのしい事柄ならなんでも上手くいきそうな気がした。みっつもよっつもいつつも信号機に足止め喰らう事なく車は淀みなく進み、なにかしらの野良動物も見かけたりしてスッカリ気分が良くなってくる。グングン我が家も近づいてくる。夜はまだ長い。窓の外では景色が「しーん」をやっている。今日は深く深く眠りにつけそうな気がした。